- 元来、この地域は古墳時代から飛鳥時代にかけて、交通の要所であった。海上から大阪湾・住吉津・難波津から、政治の中心の舞台である飛鳥地方への重要ルートであり、日本で最初の官道として知られる竹内街道が作られている。
かっては曽我氏の勢力の地であり、専称寺は平安末期に創建された真言宗系の寺院だったが何度か焼失している。現寺院が創建されたのは、天保十二年(1841年)に記された『永代雨笠帳』によると、天正十七年(1589年)四月九日寂の第一世一蓮社向誉上人が天正十年(1582年)十二月十四日開基したものとされる。
また、『専称寺歴代名記』によれば、第二十世称蓮社檀誉上人の項に、本堂や庫裏などが、「享保四年亥年(1719年)十二月焼失ス」とあり、先述の『永代雨笠帳』には享保六年(1771年)二月、現在の地に移り複輿したと記されている。 現本堂は、第二十二世松蓮社周上人の代、享保二十年(1721年)建立されたと棟札によって判明している。